2016-05-24 第190回国会 参議院 外交防衛委員会 第19号
この集団は日本のある意味知性だというふうに言われてきましたが、私は当選してからは経世会へ所属をしましたが、経世会から言わせれば、あの連中は言っているだけで何もしないというふうによく言われておりました。国会で様々なことが起きますと、大概その処理をするのはその人たちであったように思います。 しかし、触れさせていただいた、ただいま申し上げたような人たちのあの政治姿勢は、私に感銘を与えてくれました。
この集団は日本のある意味知性だというふうに言われてきましたが、私は当選してからは経世会へ所属をしましたが、経世会から言わせれば、あの連中は言っているだけで何もしないというふうによく言われておりました。国会で様々なことが起きますと、大概その処理をするのはその人たちであったように思います。 しかし、触れさせていただいた、ただいま申し上げたような人たちのあの政治姿勢は、私に感銘を与えてくれました。
それで、質問に移りますけれども、実は、私もスタッフとして、石破大臣と同じ田中派、経世会におりました。そして、大臣が初めて国会議員になられたころ、経世会ができ、ふるさと創生ということを申しました。委員長もそうだと思います。そして、委員長の上には綿貫先生、奥田先生とおりまして、何か、田中派、経世会が囲んでいるような感じですけれども。 原点は、日本列島改造論、そしてふるさと創生。
○岡田国務大臣 小沢先生は、私が選挙を経て国会議員になったときの幹事長であり、かつ、自民党経世会の、派閥の長ではなかったんですけれども、我々新人議員の指導者として、私は大変影響を受けましたし尊敬もしてきたわけであります。途中から党が変わりまして、新進党までは一緒だったんですが、そこからはちょっと縁が遠くなったわけでありますが。
これは、かつて石破大臣は木曜クラブの事務局をされておられましたけれども、私は経世会の秘書会に所属しておりました。経世済民、経世済民、これが民を養うという中国の古語だそうでございます。
地方に温かい方をやってきたのは、これは、済みません、こちらの皆さんの先輩たちで宏池会、経世会グループの人たちが多いんです。そして、今、そこの、小沢さんが生活維新というフレーズを掲げられているのは、やはり同じ系譜に属するんじゃないかと私は思います。 そして、EUはこれを政策的に導入したんです。何かというと、直接支払いなんです。
これまでの数の論理、派閥の論理を乗り越え、経世会の総帥を見事に破って、国民の信頼を得て、草の根の声を結集して、そうして、その結果、八%の内閣支持率が八〇%に上がったんですから、驚いたですね。こういうことが世の中にあるのか、私の長い政治経験の中でも驚くべき事態が起こりました。 その最大の理由は、自民党を批判して、自民党をぶっ壊す、政治を変えると。
そして、先ほど瀬島さんの秘書をやられた竹本繁常務という話をいたしましたけれども、この竹本さんという方は中曽根臨調の事務局に出向していたわけでありますが、そのときに、いわゆる経世会の担当だったわけです。そして、経世会の担当で、同時に、東急エージェンシーからも同様にそのころ実は臨調事務局に出向していた方がおられまして、そこで結びつきも一方ではできた。
その竹下イズムは、現在も自由民主党の中に、とりわけ経世会の中に脈々と引き継がれていると私は思います。 九〇年代に入ってからの自民党の歴代の道路調査会会長の顔ぶれをぜひ思い起こしていただきたいと思います。敬称略でまいりますが、金丸信、中村喜四郎、渡辺栄一、そして綿貫民輔議長、続いて村岡兼造、野呂田芳成、すべて経世会です。
YKK、これは小泉総理もメンバーでありますが、当時、竹下派、経世会支配に対抗するんだと、そういう金権腐敗政治を打破するためにYKKは華々しく旗上げされたわけですが、逆説的なことでありますけれども、その筆頭格であった加藤元幹事長、自分の立場を維持していくために無理な金集めに頼らなければならなかったということであります。
(拍手) 総理は、組閣に当たっての発言やメーデー等のあいさつで、驚天動地、革命的、政権交代と同じような意味を持つと、みずからの政権を自画自賛しておられましたが、その意味するところは、結局、田中派、経世会、橋本派と続いた自民党の巨大派閥に総裁選挙で勝利したと言っているのにすぎないのではないでしょうか。
保保連立あるいは自自連立に関して、最近の小沢さんらの言動は与党になりたがっているふうにしか見えない、これは明らかに国民をだましている、反省を促したいというようなことやら、それからいろいろと書いてありまして、例えば、野中さんは、決してやるべきではない、これは保保連立等の話について、決してやるべきではないと明確に言っておられる、同じく、旧経世会の竹下さんや小渕さんだって保保がいいとおっしゃったという話を
私自身、経世会分裂以来のお仲間も多数おいでになります。無節操に党利党略の数合わせに走っているとは思いたくありません。しかし、提示された政策は大変に高いハードルとなっております。多分、連立が成立するにはハードルをかなり下げなければ無理なのではないかと思います。そうすれば、事志と異なって、批判されておるように野党の疲れと権力への渇きに負けたことになります。そんな小沢党首であるはずはないはずであります。
経世会に所属しておりました、その当時、橋本総理に最も早く総理になっていただきたいと願いながら、そのことを直訴を申し上げたこともございました。その橋本総理が実際に総理になられたときには、私は他の政党に所属しておりましたが、内心、心から喜んだものでございます。
今回、対立候補として名乗りを上げた橋本通産大臣というのは、そういってはなんですけれども、田中角栄氏の秘蔵っ子というのか、そういう立場の方で経世会の本流を歩いてこられた方であって、古い自民党のどろどろした体質を引きずってきたと言うとちょっと語弊があるかもしれませんけれども、そういう感じの方であるという批判もあるわけでありますから、河野外務大臣とすれば政治生命をかけてもそういう自民党の古い体質と対決をすべきではなかったのか
田中派、経世会当時も、福島譲二さんとかあるいは小沢一郎さんとか私とか、パーティーをやっていない代議士はもう指折り数えるぐらいしかありませんでした。何とか僕もその記録を維持したい、こう思っていたんでありますが、なかなか選挙区やいろんな後援会の幹部の方々に説得をされまして、パーティーを開くことに相なりました。
まして、奥様を初め御遺族の御心中を思うとき、また、木曜クラブ、経世会と長年兄貴のように慕ってきた方であっただけに、小宮山先生の突然の死は、生者必滅のことわりはわかってはいるものの、余りにも痛ましく、残念でなりません。 ここに、私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。
だから、総理に私はお尋ねしたいんだけれども、もし旧経世会、総理が所属しておられた旧経世会の金丸さんの後の会長争いで、小沢さんが、勝ったか負けたか知らないけれども、もし逆の立場に立っていたら、新生党というものはできたんですか。
それから、経世会体質とか新生党体質とか強権とかなんとかというのは、この何カ月間の短い間に物事を進めるために相当突っ張らなければならなかったところであろうと思っておりまして、木曜クラブ、経世会、いろいろな問題はありましたよ。
しかし、考えてみますと、これはとりもなおさず羽田さんを含む金丸、竹下、小沢によるあなた方経世会の、数は力だ、力は金だというような強権政治に対する批判にほかならなかったんではないかというふうに思うのであります。あなた方は自由民主党の権力の中枢にあったわけでありまして、一時期党内の民主化の動きの中で、党内で利あらずと見るや、新生党を結成されて党外に去られました。
その田中派というのを、田中さんがロッキードで倒れてだめになったら、あなたたちが中心になって経世会というのをつくられた。その経世会の中でまた大変な、自民党のあるいは日本の政治の中で権勢を振るわれた。当時の小沢幹事長のごときは、次の総理大臣候補を自分のところへ呼びつけた。こんなことは憲政始まって以来なかったことであります。大先輩の次の総理大臣になる人を自分の個人の事務所に、当時小沢幹事長は呼びつけた。
○羽田内閣総理大臣 私は確かに御指摘にありましたように、木曜クラブ、そして経世会、そして改革フォーラムという歩みをしてまいりました。しかし、私は一度も便宜的あるいは個人のどうのこうのということで行動したことはありません。これはもう江藤委員がよく御案内のとおりであります。